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第5回 思いやりの心 〜 学者的な責任 & 人間的な責任 〜

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  敬老の日( 9 月 18 日) 、 「地域がん診療連携拠点病院事業   公開講演会『がん患者   家族への 処方箋』 [ 主催:伊勢崎市(伊勢崎市民病院)後援:伊勢崎佐波医師会 ] ( 絣の郷 円形交流館に於いて)で、特別講演『がん哲学外来   〜   思いやりの心   〜』をする機会が与えられた。筆者の「特別講演」の前の 伊勢崎市民病院の先生の、 ユ ーモア溢れる、患者視点のご講演『乳がんの治療と診断   〜   誰を想って、あなたは治療をしますか?   〜』には、大いに感激した。会場は、大盛況であった。講演会終了後は、伊勢崎市民病院   外科診療部長 片山和久先生の運転で、伊香保温泉 福一での『がん哲学外来   伊香保シンポジウム』に向かった。  『がん哲学外来   伊香保シンポジウム』では、筆者は、国立病院機構沼田病院   院長 前村道生   先生の司会で、基調講演『原田明夫氏追悼記念   〜今、ふたたび伊香保温泉〜』の機会が与えられた。その後のパネル ディ スカッション『人生の邂逅〜不連続の連続性〜』は、 『新島襄記念 がん哲学外来 in 伊勢崎市民病院』『内村鑑三記念 がん哲学外来 in 国立病院機構沼田病院』、『がん哲学外来 in 万座温泉』 の方々、 懇親会は、東京方面からも参加され、大いに盛り上がった。翌日の早朝、筆者は、伊香保温泉街を散歩した。「 365 の石段」を登りながら、 1897年、日本が誇る国際人・新渡戸稲造(1862〜1933)が 保養した 旅館 を静思し、 新渡戸稲造が 、 伊香保温泉の保養中に『農業本論』(日本初の農学博士取得)を書いたことは、想い出した。翌年は、アメリカで の 保養 中に 『武士道』を 完成させた。まさに、「 人生 は、 もしかしたらこの時のため」 を実感した。  筆者は、2006年、国立がん研究センター理事長・総長の中釜   斉先生と ともに 会長を務め、『日本疾患モデル学会総会〜「過渡期の指導原理と新時代の形成力」を求めて〜』も、開催したものである。 思えば、 2002 年、原田明夫氏(元検事総長・東京女子大学前理事長)と「伊香保温泉   福一」で、新渡戸稲造の生誕 140 周年シンポを開催した。今回は、 15 周年記念ともなった。秋分の日( 9 月 23 日)山崎製パン総合クリエイション

第4回 『人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる』〜人生は出会い 〜

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  島根大学医学部   3年生の「 病理総論 」 の講義 に赴いた(出雲市)。病理学の教授からは「 学生の感想もたくさんありました。いずれも先生の講義に感銘を受けたというものです。 」と、心温まる励ましのメールが届いた。 講義に先だって、 島根県大田市立病院 の医師、 臨床研修推進室の 方と面談した。今年10月「 出張指導 」の依頼を受けた。 前夜、故郷に帰郷した。翌朝、既に廃校になった『鵜鷺中学校』で、地元の人、同級生と「鵜鷺 メディカル・ ヴィレッジ」構想について語り合った。その後、姉と母(94歳)が、車で、 島根大学医学部病院まで、送ってくれた。車の中から、涙を流しながら、手を振る母の姿は、まさに『人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる。』 (伝道者の書 8 章1節)である。  文京区立   汐見小学校   6年生に「がん教育」の授業の機会が与えられた。 1 人も寝る生徒もなく、多数の質問もあり、お母さん達も、参観されていた。筆者の 『鵜鷺小学校』(廃校)時代を語った。まさに、「 Boys be ambitious ! 」 ( 少年よ   大志を抱け!)である。筆者の 最初の本 『 われ 21世紀の 新渡戸とならん! 』 (2003年)の『われ  21 世紀の 新渡戸とならん 新装改訂版』が、来年、 再販 される様で ある。 驚きで ある。 自分の思いを越えて、時は進 むことを痛感する。  週末、 広島で講演「 がん哲学外来   〜  人生は出会い  〜 」 (三滝グリーンチャペルに於いて)の機会が与えられた。 台風の進路と逆方向で、 まさに 「人生いばらの道にもかかわらず 宴会」 の心境であった。広島大学医学生も聴講し、広島在住の姉夫妻も来て下さり、久しぶりの再会は嬉しかった。充実した時であった。『あなたがたが   わたしを選んだのではありません。わたしが   あなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、 …   』(ヨハネ15章16節)が、甦った。  筆者の新刊『がんばりすぎない、悲しみすぎなない。』(講談社)を購入された方もあり、会場でサインをした。「すぎない」は、まさに、『あなたは正しすぎてはならない。知恵ありすぎてはならない。−− 悪すぎでもならない。

第3回 『胆力の修養の場』〜「Medical Village万座 in 嬬恋村」〜

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 週末、「信州大学 がん哲学外来 in 軽井沢」(軽井沢病院に於いて)に、 wife と参上した。小泉知展 信州がんセンター長の司会の下、軽井沢病院院長の開催挨拶で開始された。筆者は、個人面談「がん哲学外来」も行った。多数の参加があり、充実した一時となった。今後、軽井沢でも定期的に開催されることであろう。筆者にとっては、「内村鑑三・新渡戸稲造」の縁のある軽井沢には、特別な思いがある。 来年は、新渡戸稲造が、 1918 年に「軽井沢通俗夏季大学」の初代学長になってから 100 周年になる。来年、シンポジウムが、企画されるようである。軽井沢は「 21 世紀の Medical Village 街道」の「拠点」となる予感がする。  その後、軽井沢から、万座温泉での講演会「 Medical Village 万座 in 嬬恋村」に赴いた(日進館に於いて)。ロビーでのフロアショー「がん哲学外来カフェ in 万座温泉」で『がん哲学外来 〜人生いばらの道されど宴会 〜』を講演する機会が与えられた。嬬恋村教育委員会教育長をはじめ、東京、神奈川、佐久からも多数参加され、泊まり客とのまさに「人生いばらの道されど宴会」であった。翌日は、シンポジウム『「がん哲学外来 メディカル・ ヴィレッジ」の展望』が企画された。  シンポジウムでの、軽井沢朗読館 館長 元 NHK アナウンサーの青木裕子氏の『カフェで出会った 24 人』(日本キリスト教団出版局発行)の朗読には、大いに感動した。パネルディスカッションも、盛り上がった。筆者は、基調講演『 Medical Village 街道 〜がん哲学月間 設立を目指して〜』 の機会が与えられた。講演では 「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。」&「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。」との マザー・テレサの言葉も、さりげなく、紹介した。『胆力の修養の場』ともなろう。  また、練馬区健康部の保健師の方が来訪され、がん征圧月間「映画上映会:うさぎ追いし」(主催:練馬区健康推進課、練馬文化センター於いて) のチラシを頂いた (
 http://www.city.nerima.tokyo.jp

第2回 『何があっても、いつ、どこにあっても なくてはならない人に おなりなさい』

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 平成29年度 文京区立小学区教育対象講習会(順天堂大学 第2教育棟に於いて)で、「小学校段階で必要ながん教育の在り方を考える 〜 予防ではなく、心得について 〜」と題して講演する機会を与えられた。講習会の趣旨は、『『予防を教える』から『心構えを教える』への転換の重要性を理解すると共に、これからの「がん教育」の在り方を考える』と、謳われていた。対象は、区立小学校教員・管理職であった。グループディスカッション、オープンディスカッションもあり、質問もあり、大変充実した、有意義な時であった。まさに「学校現場におけるがん教育の進め方」であり、今後の『学校教育』の重要な課題となるであろう。    「目白がん哲学外来カフェ1周年 特別講演会」(目白町教会に於いて)で、講演『空っぽの器 〜 教育とは、人生とは、良い出会いとは 〜』する機会が与えられた。パネルディスカッションあり、『空っぽの器』のテーマソングも披露され、さらに、名古屋からは、親子が参加され、会場は、大いに盛り上がった。   映画「ハイジ」を鑑賞した(恵比寿に於いて)(原作:ヨハンナ・シュピリ『アルプスの少女ハイジ』)。「ハイジ、アルムおじん、クララ、ペーター、おばあさま」には感激した。「やさしい、素直、思いやり、柔らかな心」、「無邪気に、喜んで、小さなことに、大きな愛を込める」である。9月11日のシンポ「『21世紀のアルプスの少女ハイジ』に学ぶ自己形成」は、歴史的大事業ともなろう。 同じ日、早稲田大学 エクステンションセンター 中野校講座『がんと生きる哲学』同窓会が、開催された。栃木からも参加され、楽しい一時であった。さらに、『がんと生きる哲学』3周年記念 市民公開シンポの企画で、大いに盛り上がった。   「第64回 スペシャル お茶の水メディカル・カフェ in OCC」は、勝俣範之先生 (日本医科大学教授)の『ピアノ、ギター、歌』のコーナーがあり、慶應義塾大学医学部教授も出席され、多数の参加で大盛況であった。筆者が理事を務める恵泉女学園の創設者:河井道の『何があっても、いつ、どこにあっても なくてはならない人に おなりなさい』の言葉が甦ってきた。日々学びの連続である。